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Channel: 天職起業で「人生は逆転できる!」講演家・作家
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起業ドン底を逆転!

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【実録】ネット+アナログ営業で人生逆転! by 鈴喜・鈴木社長

起業して4年半になるんですが、1年目で廃業のピンチを迎え、貯金もほとんど底をついて厳しい状況になりました。脱サラ資金は退職金の800万円で、かなり余裕かなあと思ってスタートしたんですが、減るのがやたら早いですねえ。1年もしないうちに800万が底をつき、2年目は家内の生命保険を解約して600万円。それもどんどん無くなり、春日部の家庭菜園で野菜作ったり、もうぎりぎりの生活で食いつなぐような感じでした。

まあ、サラリーマンの頃はねえ、上場企業なもんですから給料もそこそこもらえたんですが、生活は一変してしまいましてね。厳しい生活で子どもたちにも小遣い出せないような、ちょっとひもじい想いを子どもたちにさせました。

そんなギリギリの生活をしているとき、あとで話しますが、恩人の菅谷さんと後藤さんにお会いしまして、そっからYouTubeとかいろんな作戦を教えていただき、こうして今、なんとか逆転をしてます。私が何をして、倒産寸前から3年目で累計3億円稼げたのか。大したことじゃないですよ。誰でもできることをしてきました。

私たち夫婦は、自動旋盤という工作機械の販売会社です。自動旋盤は町工場にある小型の旋盤です。3mぐらいある金属の棒の材料を削って、自動車の部品とかブレーキの部品とかを削って作る機械です。

商品はニッチですね。だからYouTube検索でも引っかかりやすい。同業の方は工作機械の総合商社っていう肩書で商売されます。町工場に行って、工作機械ならうちはなんでもできますよ。ってやるんですけど、うちは得意の自動旋盤に絞ってます。

◆中古で差別化

21年間、スター精密という自動旋盤専門のメーカーに勤務してたので、新品の自動旋盤を売るのが一つ。それと、新品が売れると古い自動旋盤出が出るので中古も扱ってます。

国内で新品の自動旋盤がバンバン売れる時代は終わってます。明らかにアジアに日本の製造業は追い越されつつあるんで、非常に厳しい状況。私も最近は新品ではなく、中古の比率が高くなってきました。

栢野さんのDVDなんか観てて、「弱者や中小零細は新品でなく中古だ!」って言ってますけど、そうなのかなあと最初は疑ってました。でも、言われるように、新品は競争が激しいし、個人商社は信用されない。でも、中古は大手も無視するし、みんなと競合しないですね。中古のほうが確かにいい。それに気づいたのは2年目です。

起業したのが2009年4月。リーマン・ショックの後ですね。今も日本の製造業の状況はよくないんですけども、その当時は最悪で、起業は周りからすごく心配されました。前職のスター精密は一部上場企業で非常に安定してましたから、退職するとき周りからは呆れられました。お前、こんな時に会社辞めて大丈夫なの?と。

僕は起業することをスゴく夢に描いてたもんですから、応援してくれると思ってたんですけど、今、起業なんてそんなバカなことと止められたり、親を説得するの大変でした。やっぱり上場企業で安定した会社から飛び出すなんて、スゴくリスキーでアホらしいと思えるみたいですね。その感覚の違いをすごく感じました。

■妻:突然、独立すると言われまして・・・。まあ、全部自分で決めてあとで自分で言うタイプなんで、いつものごとく、もう決めたからと。でもどうしてもイヤだと言うんなら独立やめるよって。言われたんですけど、それは、私の一言でやらなかったとか言われちゃうし、お笑い芸人になりたいとかラーメン屋さんとか、まったく異業種を言ってるんじゃなかったので、まあ、屋内プールから屋外プールに出るようなもんかもなので、やってみたらと言いました。自分の保険を解約するまでに追い込まれましたが、それは予想してたので、別にいいかなと。

夫・自分も家内が応援してくれなければ、ちょっとなかなか成功しにくいだろうなと思ったもんですから、家内がやめろと言えば、しょうがないなあと言って、サラリーマンを続けるつもりではあったんです。

サラリーマン時代も仕事は面白かったですけど、やっぱサラリーマンですから、上場企業の販売計画に基づいて、数字が上から降りてきて売れだとツマラナイですね。でも、自分が思うように、自分が好きなお客さんに自分が好きな機械を売るんだったら、もっと面白い。自分が好きなようにやりたいと独立を決めました。

スター精密では関東・東北・静岡を担当しました。社用車で1日1300キロ移動とかやってましたね。非常に過酷だったですが、スゴく充実してました。

スター精密は直販2割ぐらい。大半は商社が絡んでますが、商社は機械のことはわからない。金額だけ。だから、決まると我々が飛んでいって見積もりを出し、商社がマージン乗せて決まりと。

新品の平均単価は1500万円ぐらい。スター精密ってイイ会社なんですよ。従業員の夢を応援する制度なんかあって。45歳の時に独立しました。平成22年2月。会社は大好きでしたし、今もスター精密の機械を売るのは誇りに思ってます。

開業時は2008年のリーマン・ショックから1年半経過してたんですが、まだまだ厳しかったですね。でも自分がやりたくて仕方なかったわけで、やる気満々でした。会社のためではなく、自分のためですから、ワクワクしてやりました。それまでの人生も最後にはなんとかなったもんですから、今回もなんとかなると楽観的に思ってました。

◆まったく売れない

ところが実際に現場を回り始め、こんなに厳しいのかと愕然としました。それまでは上場企業のサラリーマンだったから売れた。でも、やめたらそうは簡単じゃない。ボクもその程度は想像してましたが、個人というのは信用されないんですね。

考えてみたら、1500万から3000万する機械をあんたから買って大丈夫なの?って言われて、確かにそうかもねと。お客さんとこ、買ってくれそうだなあと思ったとこには3回ぐらい行くわけですよ。ところが、うちは力のない個人からは買えない。個人のブローカーさんとは付き合えないよッて追い返されるんですよ。ひどい言葉でネ。

自分も甘かったんですが、ショックでした。が、もう後戻りはできない。もうやっちゃいましたから。たまにスター精密やめて、もう一度戻りたいっていう人いるんですが、再雇用はないですね。

で、事務所にいても当然、電話鳴らないですよね。機械がまるで売れない。見積の依頼すらない。ただ、外をグルグル回ってるだけ。ほんとに廻るだけ。メーカーにいた頃の自動盤使ってる町工場を毎日回ってたんですね。顧客名簿を頼りに。埼玉県内からスタートして、栃木、茨城、群馬、千葉、としらみつぶしに廻りました。

最初の1年は300件ぐらい飛び込み営業やったんですが、散々な状態でした。初年度の後半に商談をなんとか決めたんですが、それは20年以上前の中古のボロボロ機械2台で儲けはほとんどなし。作業着着て搬出入して。でも、初受注でしたから、めちゃくちゃ嬉しかったですね。さらに年度末、新品をなんとか2台決めました。値引きしてお願い営業して。

こうして初年度売上は2500万円。ところが、採算度外視の受注だったので赤字600万円。退職金800万円がスッカラカンですね。車でサラリーマン時代と同じ感覚で静岡とか東北とか移動してましたので、経費がめちゃくちゃかかるんですね。事務所兼住宅の経費とか経費がかかって。節約してたつもりなんですが、サラリーマン時代とあまり変わってない。サラリーマンの時は自分のお金じゃないから経費使い放題でしたね。でも起業後も生活レベル下げてないんですね。本当はざるそばにしないといけないのに天ざる食うとか。でも、まだ800万円あるし。という感覚でした。初年度は。

が、二年目も厳しい状況で、生活費も底をついてました。情けないことですが、家内の生命保険を解約してもらって、家で育てた野菜を食べて生き延びてたんですね。小学生の子どもが2人いたものですから、かなり不憫な想いもさせました。外食とかも一切せず、映画やディズニーランドに行ったり出来なくなっちゃいましたね。お金ないから。そうならないと、なかなか節約できないですね。子どもたちもその辺の状況はわかるみたいで、お金を使うようなことは言わなくなった。どっか連れてってくれとか、映画行こうとか言わなくなって、ひもじい生活にはなりました。

もう昔の顧客名簿と土下座営業では、生活が成り立たないのはわかってました。追い詰められてましたんで、なんでもしようと思いました。ぼく、アナログ営業だったもんですから、ネットの営業とかしてなかったんです。でもなんか手を打たないと。

ホームページをつくろうと思って、ホームページ会社にあたりをつけたんですよ。でもいい加減な方多いですよね。何社か会ったんですけど、みんないい加減。こっちは崖っぷちに立たされているから、ちょっとしたお金も出せない。藁をも掴む感じで、なかなかこっちの気持ちと相手の提案する内容がマッチングしない。「月額1万円で鈴木さんのホームページを検索で上位表示する方法もありますよ」と。そりゃいいなあと思ったんですが、いろいろ聞いていくと胡散臭い。

◆出逢いと3つの作戦

いろんな人の話やネットで調べ、菅谷さんの本を読んだ。スゴく内容が濃くて、菅谷さんに興味持ったんですよ。連絡をして、2年目のクリスマスを前に菅谷さんと会ったんですね。その時がボクの転機でした。

皆さんもそうでしょうけど、人と人の出逢いでラッキーになったり、アンラッキーになったりすることってありますよね。いい人と出会うとスゴくいい方向へ行く。相乗効果が出る。ボクはまあ、それが菅谷さんだったんです。

ところが、菅谷さんはホームページを作るということでしたけど、ホームページを作る話はまるでしないんですよ。商売の話をしない。売り込むかなあと思ったけど、たぶん、菅谷さんからすると、この人、お金ないから売り込んでも仕方ないのかなあと思ったんでしょうけど、その時、自分がやってきたことをつぶさに聞いてくれたんです。

鈴木さんが飛び込み営業300件やって、頑張ってるのはよくわかる。ま、やらない人よりはましだけど、戦略がなくて300件飛び込んでも、200キロ300キロ走ってお客さんとこ行った!って、移動時間は無駄ですって。

僕は何も勉強してなかったから、「いや、移動時間が無駄って言われても、お客さんとこ行くのに移動しないといけないから、何言ってるのかなあ」と、スグには理解できなかったんです。そんな話の中で、お金のかかるホームページ作るとかでなく、予想外のアナログ営業の戦略の話を具体的に教えてくれたんですね。

そして話を聞きながら、これをやったら確かに効果が出るなと、話を聞いた時に思ったんですよ。確信しました。コレは確かに効果が出る。と思ったんですねえ。

で、この時に、菅谷さんから教えてもらったのが3つあります。

◆つづきとライブ動画は
http://qvenshop.com/?pid=63531571
起業して4年半になるんですが、1年目で廃業のピンチを迎え、貯金もほとんど底をついて厳しい状況になりました。脱サラ資金は退職金の800万円で、かなり余裕かなあと思ってスタートしたんですが、減るのがやたら早いですねえ。1年もしないうちに800万が底をつき、2年目は家内の生命保険を解約して600万円。それもどんどん無くなり、春日部の家庭菜園で野菜作ったり、もうぎりぎりの生活で食いつなぐような感じでした。まあ、サラリーマンの頃はねえ、上場企業なもんですから給料もそこそこもらえたんですが、生活は一変してしまいましてね。厳しい生活で子どもたちにも小遣い出せないような、ちょっとひもじい想いを子どもたちにさせました。 そんなギリギリの生活をしているとき、あとで話しますが、恩人の菅谷さんと後藤さんにお会いしまして、そっからYouTubeとかいろんな作戦を教えていただき、こうして今、なんとか逆転をしてます。私が何をして、倒産寸前から3年目で累計3億円稼げたのか。大したことじゃないですよ。誰でもできることをしてきました。 私たち夫婦は、自動旋盤という工作機械の販売会社です。自動旋盤は町工場にある小型の旋盤です。3mぐらいある金属の棒の材料を削って、自動車の部品とかブレーキの部品とかを削って作る機械です。 商品はニッチですね。だからYouTube検索でも引っかかりやすい。同業の方は工作機械の総合商社っていう肩書で商売されます。町工場に行って、工作機械ならうちはなんでもできますよ。ってやるんですけど、うちは得意の自動旋盤に絞ってます。 ◆中古で差別化 21年間、スター精密という自動旋盤専門のメーカーに勤務してたので、新品の自動旋盤を売るのが一つ。それと、新品が売れると古い自動旋盤出が出るので中古も扱ってます。 国内で新品の自動旋盤がバンバン売れる時代は終わってます。明らかにアジアに日本の製造業は追い越されつつあるんで、非常に厳しい状況。私も最近は新品ではなく、中古の比率が高くなってきました。 栢野さんのDVDなんか観てて、「弱者や中小零細は新品でなく中古だ!」って言ってますけど、そうなのかなあと最初は疑ってました。でも、言われるように、新品は競争が激しいし、個人商社は信用されない。でも、中古は大手も無視するし、みんなと競合しないですね。中古のほうが確かにいい。それに気づいたのは2年目です。 起業したのが2009年4月。リーマン・ショックの後ですね。今も日本の製造業の状況はよくないんですけども、その当時は最悪で、起業は周りからすごく心配されました。前職のスター精密は一部上場企業で非常に安定してましたから、退職するとき周りからは呆れられました。お前、こんな時に会社辞めて大丈夫なの?と。 僕は起業することをスゴく夢に描いてたもんですから、応援してくれると思ってたんですけど、今、起業なんてそんなバカなことと止められたり、親を説得するの大変でした。やっぱり上場企業で安定した会社から飛び出すなんて、スゴくリスキーでアホらしいと思えるみたいですね。その感覚の違いをすごく感じました。 ■妻:突然、独立すると言われまして・・・。まあ、全部自分で決めてあとで自分で言うタイプなんで、いつものごとく、もう決めたからと。でもどうしてもイヤだと言うんなら独立やめるよって。言われたんですけど、それは、私の一言でやらなかったとか言われちゃうし、お笑い芸人になりたいとかラーメン屋さんとか、まったく異業種を言ってるんじゃなかったので、まあ、屋内プールから屋外プールに出るようなもんかもなので、やってみたらと言いました。自分の保険を解約するまでに追い込まれましたが、それは予想してたので、別にいいかなと。 夫・自分も家内が応援してくれなければ、ちょっとなかなか成功しにくいだろうなと思ったもんですから、家内がやめろと言えば、しょうがないなあと言って、サラリーマンを続けるつもりではあったんです。 サラリーマン時代も仕事は面白かったですけど、やっぱサラリーマンですから、上場企業の販売計画に基づいて、数字が上から降りてきて売れだとツマラナイですね。でも、自分が思うように、自分が好きなお客さんに自分が好きな機械を売るんだったら、もっと面白い。自分が好きなようにやりたいと独立を決めました。 スター精密では関東・東北・静岡を担当しました。社用車で1日1300キロ移動とかやってましたね。非常に過酷だったですが、スゴく充実してました。 スター精密は直販2割ぐらい。大半は商社が絡んでますが、商社は機械のことはわからない。金額だけ。だから、決まると我々が飛んでいって見積もりを出し、商社がマージン乗せて決まりと。 新品の平均単価は1500万円ぐらい。スター精密ってイイ会社なんですよ。従業員の夢を応援する制度なんかあって。45歳の時に独立しました。平成22年2月。会社は大好きでしたし、今もスター精密の機械を売るのは誇りに思ってます。 開業時は2008年のリーマン・ショックから1年半経過してたんですが、まだまだ厳しかったですね。でも自分がやりたくて仕方なかったわけで、やる気満々でした。会社のためではなく、自分のためですから、ワクワクしてやりました。それまでの人生も最後にはなんとかなったもんですから、今回もなんとかなると楽観的に思ってました。 ◆まったく売れない ところが実際に現場を回り始め、こんなに厳しいのかと愕然としました。それまでは上場企業のサラリーマンだったから売れた。でも、やめたらそうは簡単じゃない。ボクもその程度は想像してましたが、個人というのは信用されないんですね。 考えてみたら、1500万から3000万する機械をあんたから買って大丈夫なの?って言われて、確かにそうかもねと。お客さんとこ、買ってくれそうだなあと思ったとこには3回ぐらい行くわけですよ。ところが、うちは力のない個人からは買えない。個人のブローカーさんとは付き合えないよッて追い返されるんですよ。ひどい言葉でネ。 自分も甘かったんですが、ショックでした。が、もう後戻りはできない。もうやっちゃいましたから。たまにスター精密やめて、もう一度戻りたいっていう人いるんですが、再雇用はないですね。 で、事務所にいても当然、電話鳴らないですよね。機械がまるで売れない。見積の依頼すらない。ただ、外をグルグル回ってるだけ。ほんとに廻るだけ。メーカーにいた頃の自動盤使ってる町工場を毎日回ってたんですね。顧客名簿を頼りに。埼玉県内からスタートして、栃木、茨城、群馬、千葉、としらみつぶしに廻りました。 最初の1年は300件ぐらい飛び込み営業やったんですが、散々な状態でした。初年度の後半に商談をなんとか決めたんですが、それは20年以上前の中古のボロボロ機械2台で儲けはほとんどなし。作業着着て搬出入して。でも、初受注でしたから、めちゃくちゃ嬉しかったですね。さらに年度末、新品をなんとか2台決めました。値引きしてお願い営業して。 こうして初年度売上は2500万円。ところが、採算度外視の受注だったので赤字600万円。退職金800万円がスッカラカンですね。車でサラリーマン時代と同じ感覚で静岡とか東北とか移動してましたので、経費がめちゃくちゃかかるんですね。事務所兼住宅の経費とか経費がかかって。節約してたつもりなんですが、サラリーマン時代とあまり変わってない。サラリーマンの時は自分のお金じゃないから経費使い放題でしたね。でも起業後も生活レベル下げてないんですね。本当はざるそばにしないといけないのに天ざる食うとか。でも、まだ800万円あるし。という感覚でした。初年度は。 が、二年目も厳しい状況で、生活費も底をついてました。情けないことですが、家内の生命保険を解約してもらって、家で育てた野菜を食べて生き延びてたんですね。小学生の子どもが2人いたものですから、かなり不憫な想いもさせました。外食とかも一切せず、映画やディズニーランドに行ったり出来なくなっちゃいましたね。お金ないから。そうならないと、なかなか節約できないですね。子どもたちもその辺の状況はわかるみたいで、お金を使うようなことは言わなくなった。どっか連れてってくれとか、映画行こうとか言わなくなって、ひもじい生活にはなりました。 もう昔の顧客名簿と土下座営業では、生活が成り立たないのはわかってました。追い詰められてましたんで、なんでもしようと思いました。ぼく、アナログ営業だったもんですから、ネットの営業とかしてなかったんです。でもなんか手を打たないと。 ホームページをつくろうと思って、ホームページ会社にあたりをつけたんですよ。でもいい加減な方多いですよね。何社か会ったんですけど、みんないい加減。こっちは崖っぷちに立たされているから、ちょっとしたお金も出せない。藁をも掴む感じで、なかなかこっちの気持ちと相手の提案する内容がマッチングしない。「月額1万円で鈴木さんのホームページを検索で上位表示する方法もありますよ」と。そりゃいいなあと思ったんですが、いろいろ聞いていくと胡散臭い。 ◆出逢いと3つの作戦 いろんな人の話やネットで調べ、菅谷さんの本を読んだ。スゴく内容が濃くて、菅谷さんに興味持ったんですよ。連絡をして、2年目のクリスマスを前に菅谷さんと会ったんですね。その時がボクの転機でした。 皆さんもそうでしょうけど、人と人の出逢いでラッキーになったり、アンラッキーになったりすることってありますよね。いい人と出会うとスゴくいい方向へ行く。相乗効果が出る。ボクはまあ、それが菅谷さんだったんです。 ところが、菅谷さんはホームページを作るということでしたけど、ホームページを作る話はまるでしないんですよ。商売の話をしない。売り込むかなあと思ったけど、たぶん、菅谷さんからすると、この人、お金ないから売り込んでも仕方ないのかなあと思ったんでしょうけど、その時、自分がやってきたことをつぶさに聞いてくれたんです。 鈴木さんが飛び込み営業300件やって、頑張ってるのはよくわかる。ま、やらない人よりはましだけど、戦略がなくて300件飛び込んでも、200キロ300キロ走ってお客さんとこ行った!って、移動時間は無駄ですって。 僕は何も勉強してなかったから、「いや、移動時間が無駄って言われても、お客さんとこ行くのに移動しないといけないから、何言ってるのかなあ」と、スグには理解できなかったんです。そんな話の中で、お金のかかるホームページ作るとかでなく、予想外のアナログ営業の戦略の話を具体的に教えてくれたんですね。 そして話を聞きながら、これをやったら確かに効果が出るなと、話を聞いた時に思ったんですよ。確信しました。コレは確かに効果が出る。と思ったんですねえ。 で、この時に、菅谷さんから教えてもらったのが3つあります。 ◆つづきとライブ動画は http://qvenshop.com/?pid=63531571" width="212" height="300" style="border: 0px; height: auto; min-height: 100%; position: relative; width: 212px;">

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