アンケート
■完読&完聴しました。とても価値有りです。(デリズ井土社長・年商10億の宅配外食)
■栗瀬 賢「いやー。。。凄すぎる話!ありがとうございます!」サラリーマン
■新井 俊一「いやあ、素晴らしかったです!」ソフト開発会社経営
■昨夜、鹿児島の天才起業家「吉田アイエム研究所」吉田社長から携帯に電話!「栢野くん!あの山川さんの10分音声はイイ!ボクと同じ考え!こりゃ4時間聞かな。今から注文するよ!」「吉田さんと似てますね!」(年商12億の育毛剤と化粧品通販メーカー創業者)
■宮崎弥生「勉強になったこと、確認できたこといろいろあってすばらしい会でした!」カツラで日本初のネット通販会社を経営
■こりゃすごい。感謝です!三者の視点と、ホントの意味で、競わない経営。ポイントは戦わない経営が、単なる理想論ではなくて、低レベルの争いをしたくないという、極めて実戦的な理由。そして他業界は徹底してベンチマークする。要は継続的に勝つことを追求したら、戦わない経営になったと理解しました。(化粧品会社・マネジャー)
【ゲスト講師】山川雅之・起業家トライアスラー
https://www.facebook.com/masayuki.yamakawa.12
29才で聖心美容外科創業。39才で医院を上場企業へ30億円で売却後、医院コンサルを2年。2007年、ホリエモンが所有していた赤字の美容外科を買収し、再び美容外科の経営へ。現在はザ・クリニック経営+起業家アスリート・高額納税全国ベスト50を3年。
創業後、全国主要6都市(札幌、東京、名古屋、大阪、広島、福岡)に全国展開。この間、医療のIT化に取り組み、日本最大の美容医療ポータル byou web、顧客管理システム SYNAPSE 、WEB集客システムcyber counseling system などを開発。従来のプッシュ型からプル型の集客モデルを確立。2001年 全国高額納税者番付17位となり、日本で最も収益の高いクリニックグループを構築。2004年 これらクリニック群を上場企業へ事業売却。2007年、ザ・クリニック開業
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1993年10月16日。
この日は私にとって、特別の日だ。
20代最後の年を迎えた私は、世の中のことをよく知らないまま、大きな決意を持って聖心美容外科を福岡の地に開設した。そして無謀とも思えるその壮大な夢を実現した。
干支が一周して2004年11月、30代最後の年を迎えた私は、この愛した組織を手放すことになった。そして、現在のような新しいステージを迎えることになった。当時とは世の中の景色が違って見える。
仕事を通じて今まで出会った多くの人たちに、今はただ感謝したい。
■はじめに
29歳で創業したころは、どれくらいのレベルで始めたのか、今振り返ると恐ろしくもあり、いとおしくもある。知識も経験も明らかに平均以下だ。勤務医時代は、医学しか勉強していなかったので、まったくといっていいほど社会性がない。事務の女性に言われて、「源泉徴収ってなんですか?」と聞き返したくらいだ。
しかし、夢を見る力と行動力には自信があった。
そのギャップをどう埋めていったのか。最近、若手経営者に相談されることも多くなってきたので、原点に返って連載してみたい。これから起業を目指す人にとっても、会社を大きくしようと考えている人にとっても、勇気を与える内容になると思う。
■マイナスからのスタート
そのころの私(1993年)は、その当時最大手だった美容外科で勤務医として働く28歳の青年だった。若干の頑張りを評価されて、雇われながら院長として福岡に赴任していた。節税対策が必要と、D京の営業マンに勧められるまま、9割のローンでマンションを購入し、ノンバンクから6.6%の高利で融資の返済をしていた。貯金は450万円。借金の残高は4500万円くらいあった。
■開業を決めたのは、
その年の5月、急速に勢力を伸ばしてきた、業界2位のクリニックチェーンの院長から引き抜きのお誘いを受けた時だ。今の給与の1.5倍を出すとの提案で、借金を抱える身としては、多少魅力は感じたものの、マネージメントに興味があった私は、そのような立場での転職でなければ意味がないと思っていた。6時間にわたる話し合いの結果、先方の院長から「君は自分でやるタイプだね。」と切って捨てられ、結果的にその言葉が決め手となった。
自分の実力を試すには開業しかない。
それまでは、漠然といつか独立したいという夢はもっていたものの、まだ時期が早すぎると思っていたのだ。
■決心を決めた私は、次の日から開業の準備を始めた。
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奇跡の軌跡。高額納税者の友人
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