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結婚して三年、やっと授かった子供が知恵遅れの障害児(ダウン症)でした。作家・講演家としていつも「不幸や悲劇は存在しない。そう思う心があるだけ。」と言ってました。その言葉の重みがわが身に降りかかってきました、あなたがほんとうにそう思うのかと問われたのです。待ちに待っていた子供が知恵遅れの障害児だった・・・。半年ほどずっと色のないモノクロ世界が続きました。私なりに悩みました。半年たってやっとこれでいいのだということが分かりました。
障害児というのは六百人に一人の確率で生まれます(※実際は身体障害+精神障害で6%。発達障害など軽度含めると1割以上)。私が住んでいたマンションは百十四世帯、およそ六百人が住んでいました。それまでにその建物には障害者はいません。順番からいえば、わが家に障害児が生まれるようになっていたと、気づきました。
悩みながら半年たって分かりました。その子がわが家を選んできてよかったねと納得できました。もしよその家だったら意地悪されるかもしれない、差別されるかもしれない。しかし、わが家では私も妻も決して意地悪もしないし、差別もしないだろう。たぶんあたたかい目でこの子に接して育てていくだろう・・・。そういうように考えた瞬間、これまで話してきた「不幸や悲劇は存在しない。そう思う心があるだけ」という方程式が本物になったのです。事実を受け入れた瞬間、色が戻りました。私にとってそれがたぶん「悟り」だったのだと思います。
闘って自分の思い通りにするという価値観しか教わってこなかった人間が、受け入れることを、襟首捕まえられて強制的に分からせられた瞬間でした。私自身が苦しんでつらい状態だったんです。それを受け入れたら苦しみも悩みもなんにもなくなってしまった。
「悟り」とは「受け入れること」です。闘うことではないんですね。闘っている間は苦しいのです。
闘ってある程度の成果を得てきた人間ですから、闘えばなんとかなるんだと思っていたのですね。自分の思いが通じないのは努力が足りないからだ、という方向でしか考えなかった。ところが、先天的な障害児という問題を突きつけられて、そうじゃない解決方法を初めて知ったのですね。
よその子と較べなくていいんだ。その子はその子でいいんだと思ったのです。私は三次元的な方法で頑張ってきた、いわゆる優秀なタイプの人間でした。そっちの人間がその子の存在をきっかけに、ただ喜ばれる存在、頼まれる存在であればいい・・・、そういうところへ切り替わったんです。
この子には争うという概念がまったくありません。
学校に通うようになってからも、彼女には争う、競争するという概念が生まれませんでした。運動会のかけっこはいつもビリ。ある学年の運動会のとき、足のけがで走れないクラスメートがいたので、今年はビリじゃないかもしれない、とひそかに心楽しみにしていました。しかし、けがをしていたクラスメートが転んで走れなくなったとき、この子は自分が走っていた地点から引き返し、その友達の手を引き、ゴールまで一緒に走り、友達の背中をぽんと押してゴールインさせたそうです。運動会の会場から割れるような拍手がわいたそうです。結局、この子はまたビリでした。
以上は「宇宙方程式の研究」・小林正観より
以上は「宇宙方程式の研究」・小林正観より
【栢野】小林正観。人生作家。講演家。著書は1996年~2015年で累計200万部ぐらいか。仕事の不調で悩んでいる時、私も一時期ハマった。人生とか宗教系の話をわかりやすく話す天才だった。一般大衆女向け。いや、スピリチャル好きな経営者の間でも人気だった。が、自分の守護神は空海と言い出して覚めた。ハマって狂った人も多いだろう。2010年頃に博多講演会を覗いたが、グッズ販売コーナーと参加者のキモさに引いた。が、感謝しています。
しかし、小林正観ほどの偉人・プラス思考の達人でさえ、我が子が障害児という現実に半年ほど絶望状態だった・・・という独白は正直なところだろう。普通の人なら悶え苦しむだろう。絶望するのは普通だ。子供=自分の分身でもあり、精神的にキツイ。乙武さんの親が、生まれた我が子の姿見て、「まあ可愛い」。こういう見方考え方が大事だ。みたいなことを何度も聞くが、普通の人はそうは思えないだろう。絶望悲嘆マイナス発想が大半のはず。私もまさかの経験をした。昨年。自らの体と心が引き裂かれるようだった。少し、気持ちがわかるようになったのは、私にとっては良かった。と思うしかない。プラス思考にするしかない。
しかし、小林正観ほどの偉人・プラス思考の達人でさえ、我が子が障害児という現実に半年ほど絶望状態だった・・・という独白は正直なところだろう。普通の人なら悶え苦しむだろう。絶望するのは普通だ。子供=自分の分身でもあり、精神的にキツイ。乙武さんの親が、生まれた我が子の姿見て、「まあ可愛い」。こういう見方考え方が大事だ。みたいなことを何度も聞くが、普通の人はそうは思えないだろう。絶望悲嘆マイナス発想が大半のはず。私もまさかの経験をした。昨年。自らの体と心が引き裂かれるようだった。少し、気持ちがわかるようになったのは、私にとっては良かった。と思うしかない。プラス思考にするしかない。
◆1948年東京生まれ。中央大学法学部卒。超能力や精神世界の研究が趣味。弁護士を目指していたが、大学生の頃から旅行雑誌のライターに従事。旅先で相談にのっているうち、自然に人が集まり始めた。大学生時代から人間の潜在能力やESP現象、超常現象に興味を持ち、心学などの研究を行う。最初の本「22世紀への伝言」によると、新興宗教GLA高橋信次の影響が大きい。講演は年に約300回の依頼があり、全国を回る生活を続けていた。2011年、糖尿病で死亡。62才。肉親にも糖尿病がいたが、甘い物を毎回講演会の時もらい、食いまくっていた。とは本人の講演で。以下は信者のエッセイ。
◆生老病死とシナリオの一端。
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発病の原因のひとつに糖尿病遺伝子。
32年前 母親が糖尿病で逝去。
甘いもの好き。30数年間ずっと。そして発病。
網膜と腎臓が機能を失い右目が見えない。左目は80%。
体の毒素と水分が外に出ず、肺と心臓がいつ止まるかという状態に。
昨年 福島に来た時はドクターストップが。
羽田~札幌~函館~青森~八戸~盛岡~仙台~福島~山形
東京に降りずに愛知県の病院に入院。
医者は生命の保証できないと。体重79kg。現在は53kg。水26kg.
ウェスト89cm。ベルトを引き締めると76cmまでに。全部水。
糖尿病。すい臓機能低下で糖を分解するインシュリンが出ない。
すい臓が働かなくなる原因。一般的にふたつ。ふたつの「ひ」疲労と冷え。
40年間 300回の講演会。合宿、海外旅行・国内旅行で65泊。休みなし。
ただ、ストレスは全くなく 精神的疲れは感じていない。
現在もストレスはないんです。楽しい事だけだから。
頼まれごとだけをやってきた。気がついたら40年。
その間の疲労 そして冷えをは処理してこなかったので
知らないうちに機能が衰えでインシュリンが出なくなった。
運動も皆さん気を使ってくれたので ドアtoドア。
体を動かさない状況 何年も続いた。
疲労。冷え。甘いもの。運動不足。糖尿病発病。
眼が見えなくなった。腎臓が悪くなった。
病気をしたことなかった人間が入院。色々考えた。
入院しないと死んじゃうぞっていう状況。
突きつけられた死をずっと意識しながらの一年。
肺や心臓に水が溜まる。幸運にも水が出てくれ退院。
死にかけてまた入院。繰り返してきた。何故か助かる。
どうして点滴と薬で肺の水が出たかわからない。
人工透析か死か。1年3ヶ月さらされていた。
その間は、死を選ぶと思っていたと正観さん。